大学教育の普及

大体20年前に、中国で9年義務教育が実行されましたが、大学が普及できませんでした。
そのころには日本の短大類の学校や職業教育が高等教育としています。

国の教育改革のおかげで、大学の入学試験が簡単になって、たくさんの若者は高校卒業後大学に入学できるようになりました。
大学の教育は普及になりました。

誰でも大学に入学するチャンスがあります。
現在、大学教育の内容は昔より難しく、専門的になりましたが、入学が簡単になって、また、大学も多くなって、大学生は昔よりずいぶん多いです。

より多くの人が高等教育を受けるようになったのはいいことですが、就職は難しくなるのでしょう。
以前大学生と言ったら、レベルの高い戦力だと考えられますが、今は大学生が全然珍しくありません。

就職に競争力が高くなるために、大学院教育や専門的な職業教育を受ける人もたくさんいます。
しかし、それが明確な就職の条件であり、有利に働くかと言えば、そうではないのが現実のようですね。
なぜならば、それが自社の仕事にどう結びつくか、だれにもわからないからです。

机上の勉強と実践で鍛え上げられた経験とは、簡単に比較は出来ませんが、ひとつだけ言えることは、企業側は学生時代にどういうキャリアを積んだとしても、社内に適応できるようリスタートさせるものです。
だから研修というものが存在するんですね。

企業のカンバンを背負っていくわけですから、それなりに会社のカラーに染まることになります。
会社の売りは何か、自分の役割は何かをしっかりと理解したいところですね。

卒業論文を書いたとき

大学生のとき、大抵みんな経験するであろう卒業論文なるものを書かなくてはならなかった。
私は文学部生であったので、一つの作品を読んで、それについて研究し、その成果を記さなければならなかった。

昔から読書感想文なんかを書こうとすると、その読んだ本の一冊の内容を覚えていられずに、何度も何度も読み返さなくてはならなくなって、結局ほとんど支離滅裂な調子で終わってしまった、という経験を何度も重ねてきた。
だから今回もとにかく長いものはいけない。
そう思ったので、しめて30ページ足らずの小品を選択した。
今思えば、それが間違いの大本であったろう。
学生と言うのはまず目先のことに捉われるので、私の場合もじつに性急だった。
自分が関心を持てる内容で、かつこんなに短いよい作品に出会ったものだ、と喜んだ。
しかし、これは短い作品を感想文の対象に選んでしまったことのあるかつての学生なら必ずや分かることだが、短いものというのはその本文から読み取れる事柄が少ない分、そのバックグラウンドに立ち返って入念な調査をする必要があるのである。
ことさら私の選んだ作品が、資料の少ないものであったために大変な労力を要した。
そしてなおかつ困ったことに、必要とされるのは労力だけではなかった。
資料が少ないということは、それらが図書館においてある可能性が極めて低いということを示すのである。
私は自分の大学、地元の図書館、提携大学の図書館といろいろ股にかけてさがしたが殆ど資料なんてものはなかった。
そこで、わらをも掴む思いでインターネットブックストアを覗いてみたのである。
そこはやはりインターネット、海外の書籍や中古本、絶版本なども手に入る。
切羽詰った私は、資料を買いあさった。
ところがそういう本は何故かまた、あまり流通していないからかばかに高いものが多いのである。
当時の私のバイト代は、卒業論文の為に浪費されたと言っても過言ではない。
おかげで何とか卒業することができたのは、まずまず幸いであった。

«
»