大学の部活動

日本の大学生は部活動で活躍しているようです。
サッカー部、舞踏会、卓球部など、同じ趣味を持っている学生たちは一緒に練習したり試合に参加したりします。

サッカー試合がある時、A学校のサッカー部対B学校のサッカー部の形になるのでしょう。

中国の大学には部活動がありますが、それよりもっと人気があるのは同じ学部の活動です。
趣味で集まるのではなく、同じ学部や専攻などにより、チームを結成します。

例えば医科大学の場合、臨床学部、法医学部、薬学部、看護学部など、学部毎チームがあります。
臨床学部のサッカーチームに入りたいなら、臨床学部の学生であれば、1年生~7年生(院生を含め)誰でも受け入れます。

学校のサッカー試合の時も、A学部対B学部の形になります。

これが、留学生の見た大学スポーツの印象です。
これが全てではありませんが、仕組みを知りたがっているようですね。
大学生がスポーツを通して、何に活かそうとしているのかを汲み取るほどの魅力は、感じなかったのかもしれません。

学生アスリートもノンプロやプロに転向出来る人は、極僅かだと聞いています。
一番、わかりやすいのがプロ野球のドラフトでしょうか。

強いチームに在籍していても、せいぜい2.3人がドラフトにかかれば上出来という感じです。
これは非常に狭き門ですよね。
高校生や社会人野球出身となると、もっと競争率が高くなることは、一般的に知られていることです。

モラトリアム時期の私の自己分析

好きな服を着て、街に出て、好きなだけ買い物をする。
そんな生活にあこがれる私だけど、きっと実際にその生活ができるようになったら、それじゃ満足できないはず。
で、他に何が足りない…人と比べて新たな欲しい物探しを始める。

きっといくらお金があったって、幸せって思える瞬間は今と同じじゃないのかなって思ってしまう。
だから私は向上心がないのかな。
今よりもよりよい生活をしたいとは思わなくなってきて、今では保守的に暮している。
親からは「もっとこうしろ、あぁした方がいい」などと言われるけど、私は全くそうは思わない。
周りがぎゃあぎゃあ騒ぐから、私だって自分が病気にでもなっているのかと心配になって来る。
その話を友人にするとやっぱり私と同じように「勉強したからって将来が保障されている訳じゃないんだから自分たちのペースを崩してまで努力することないよね」と言う。
きっと、後10年経てば、あの時こうすればよかったって思うのかもしれない。
今できない私はそれまでの能力しかないと諦めるしかないのだけれど、両親はきっと私があの頃もっと努力をすればよかったと後悔するから忠告してくれたのだろう。
今でも私は実際、もっと中学校で勉強を頑張れば、違う高校に行き、違う高校でさらに勉強をがんばったら今の大学には入っていないのかもしれないと思っている。
そんな後悔、誰だってしていると思うから私はあえて口にした事もないし、勉強とは違う何かを私はその時期に手に入れたと思っている。
友情だったり、恋愛だったり、部活動だったり、その時期にしか体験できないものを「勉強」しているはず。
でも、そう思うと私の今の生活は勉学のほかに何を勉強しているんだろうと思ってしまうのだけど、こうやって「自分」って人間を見つめる時期なのかもしれないと考え方を変えて、もうしばらくこの生活をしていきたいと思う。

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